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エラリー・クイーン 〜Ellery Queen
 エラリー・クイーン(Ellery Queen)は一人の人間ではなく、マンフレッド・B・リー(Manfred Bennington Lee)とフレデリック・ダネイ(Frederic Dannay)の合作時のペンネームである。
- ミステリファンのみならず、トリック主体の作品を書く作家にとっても、神と言ってもいい程重要で有名な作家だ。永遠の名作とも言われる「Yの悲劇」をはじめ、有名な《国名シリーズ》や、苦悩する探偵が登場する《ライツヴィルシリーズ》など、数多くの名作を残している。作風は時期によって微妙に違うが、基本はミステリの王道を行くもので、論理的な解決は美しく整然としている。
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- 二人は同い年で、ともに1905年ニューヨークのブルックリンで生まれた。1928年、二人は既に他の職業についていたが、再び隆盛の兆しがあったアメリカミステリ界に触発され、協力してミステリの執筆を始める。翌1929年、「ローマ帽子の謎」(The Roman Hat Mystery)でデビューした。
- 初期のエラリー・クイーンは先輩作家のヴァン・ダインを強く意識しており、随所にその影響がみられる。作中の探偵エラリー・クイーンもファイロ・バンスと共通するものを多くもっており、論理を重んじる作風にも影響は感じられる。
- その他にもたとえばいわゆる《国名シリーズ》のタイトルが《〜Mystery》で統一されているのは、ヴァン・ダインの《〜Murder Case》を模倣したものだと言われている。覆面作家として正体を隠していた事も同じスタイルだと言えなくも無い。
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- 覆面作家と言えば面白いエピソードとしては、1932年に彼らはバーナビー・ロスの筆名で「Xの悲劇」を発表した折、その作風からエラリー・クイーンのライバル出現ともてはやされ、講演会の壇上で対談したことだろうか。
- お互いに覆面をかぶり、二人のうちのいずれかがクイーンとなり、もう一人がロスとなって論争までして見せたそうだ。
- これは公然の秘密といった話だが、後期のクイーンには彼ら以外の作品もある事が明らかにされている。それによると1958年の「最後の一撃」までがリーとダネイによる正真正銘のクイーンの作品で、理由は今ひとつ解らないが、リーはこの時点で執筆活動を取りやめてしまったようだ。ダネイはプランナーとして「盤面の敵」から最後の作品「心地よく秘密めいた場所」までの作品を監修して、代作者の手によって形にしている。(確かに「最後の一撃」はまさしく最後の事件と言っていい内容で、しかもリーとダネイの回顧録的な側面も持っている特別な作品だ。また実質的な「盤面の敵」の著者は、有名なSF作家シオドア・スタージョンであるらしい)
- その他にも雑誌編集などに時間をとられるうち、二人が発掘し育成するファミリーに寄る作品にもエラリー・クイーンのハウスネームを許している。
- これらの真贋を問う行為、またその位置付けはまだ十分になされてはおらず、ダネイがどれほど関与していたかも明らかではない。また本邦では公式の記録に代作の事実は記されていない。
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