- 平成14年11月21日
失踪した夫の謎を追う妻。
板根禎子は持ち込まれた縁談を受けることにした。相手の鵜原憲一は広告代理店の北陸支社で主任を務めているという男だった。まじめそうな面立ちで浮いた噂もなく、仕事に対しても有能で近々本社に栄転も内定しているという。
- 憲一は決して面白い男ではなかった。情熱的に禎子を求めるようなこともなかったし、彼女を夢中にさせるようなこともしなかった。しかし禎子は、そうしたお見合い結婚なら誰でも感じるだろう不安と期待を持って新しく夫となった男を受け入れ、これからの長い新婚生活を思い浮かべていた。しかし、短い新婚旅行から帰って十日しか経たないうち、その生活は不意に途切れてしまった。憲一は業務の引継ぎという名目で金沢に戻ったまま、失踪してしまったのである。
- いったい夫は何処に行ってしまったのだろう。何者かにかどわかされて?それとも自ら姿を隠したのだろうか。禎子はそうなってはじめて、自分が鵜原憲一という男について何も知らないということを思い知らされた。彼女には憲一を中心として物語が何も浮かばないのだ。
- ただ、芽生え始めた妻としての感は、夫の過去にいた女の存在を嗅ぎ取っていた。憲一は三十六歳で、その年齢ともなればまったくそうしたことがいなかったとは考えにくい。ひょっとして夫は自分の知らない世界を持っていたのだろうか。
- 禎子は自ら金沢に乗り込み、憲一の後輩本多良夫とともに捜索をはじめるが・・・。
- 『ゼロの焦点』は、著者の長編推理としては『点と線』『眼の壁』に続く第三作にあたる。
- 前二作は社会派推理元年の作品らしい内容で、『点と線』でトラベルミステリというスタイルをとり、『眼の壁』では社会悪を暴いた。しかしここでは政治や社会といった大きな問題からやや離れ、人間に眼を向けて、細やかなそして謎めいたドラマを作り上げている。
- 本作ではこれまでのように刑事が事件を追うというものではなく、当事者の一人である女性によりそった視点で、読者とともに物語に巻き込まれていくような形式になっている。全編をとおし禎子がまったく受動的であるとは言わないが、謎を解くために行動する場面よりも、夫の身を心配したり混乱したりといった場面が圧倒的に多い。
- こうしたスタイルのためか、表面的にはクロフツ的に感じられた『点と線』などに比べ、著者のオリジナルなテイストに溢れた作品に仕上がっている。
- 本作の物語はミステリであるだけでなく、結婚をめぐる女性のドラマとしても考えられたものであろうと思う。たしかに結婚とは誰にとっても大きな謎に直面させられる問題だ。恋愛にせよ見合いにせよ、所帯を持つということは、それまで他人であった配偶者同士がそれぞれの世界をわけあうということだ。相手が当然だと思っていた考えや大事にしている価値観などを受け入れるとき、たいていの人間は、男とは、女とは、なんと不思議な生き物であろうかと思うものであるようだ。
- 本作の中で禎子の身を襲う事件、そして憲一が彼女に感じさせた不安は、こうした思いが極端な形をとったものであるが、ほとんどの人間にとってまったく夢物語ではないはずだ。
- 物語は結婚を基点として、人間というものの謎を追いかけていく。時間という縦軸と、人間関係という横軸の中に、鵜原憲一という人間はどんな存在として織り込まれていたのか。それらが失踪の理由を追いかけていく中で、徐々に姿をあらわしていく。つまり、社会的な意味においての人間という存在の複雑さ、その謎がこの作品のテーマであると言ってもいいように思う。
- たぶん多くの人は本作を読み、身近にいて、よく知っていると思っている人間について、本当に自分はこの人を何処まで知っているのかという思いを新たにするのではないかと思う。ひょっとして、あの人は、この女は、両親は、何かを私に隠しているのかもしれない。それは、ある意味で恐怖にも繋がるものだろう。
- 立川
- 作中に立川という町が重要な意味を持って登場する。(新潮文庫版のルビでは「たてかわ」になっているが、これは間違いで「たちかわ」が正しい。)この町が、終戦直後という一時期、ある特殊な状況にあったことが、事件に大きく影を落としている。
- 実はこの町は私の実家の近所である。と言っても、私が直に知っている最も古い立川はせいぜい昭和四十年代の末頃で、作中のような特殊な状況はその名残も消えかけていた。しかしさらに長い時間が過ぎて薄まった記憶の中に、作中のディテイルと繋がるものも少しある。そこから作品が発表された当時この作品が持っていた時事性、社会性というものも少しだけ伺える。
- この地に米兵が多くいたのは、戦時中陸軍の航空隊が使っていた基地を、終戦後に米軍が接収し自軍の基地として使っていたからだ。この基地は後に自衛隊に戻され、米軍は撤収した。現在は自衛隊もさらに規模を縮小し、敷地の大部分は《昭和記念公園》などに変わっている。
- 私が知っている古い立川にはもう米兵はいなかった。少なくとも他の都市より多い記憶はない。しかし、小規模ながら基地は存続していたし、米軍が建てた格納庫や屋敷などが塀の向こうに残っていたのを覚えている。また、私の通っていた小学校はベトナム戦争の頃に立てられたものであったらしく、窓は防音のために旧式な鉄製サッシの上に二重にはまっていた。
- 私の父は禎子くらいの歳で、終戦直後は少年であったが、昭和三十年代にはこの地方で働いていたという。詳しい話はあまり聞いた事はないが、言葉の端から伺えるところでは、その時分にはまだ戦後の名残があったようで、どちらかと言えば「外人に日本の女を取られた」ような悔しい思いをしていたのではないかと思う。このあたり作中の描写と微妙に異なっているが、たぶん父が戦後すぐのこの地を知らないということが認識の差を生んでいるのだろう。
- やや蛇足な話。私はこの作品を二十一世紀になったはじめて読んだわけだが、やはり発表されてからの半世紀という時差を感じざるを得なかった。これを書くのは新しい読者の勤めでだとおもうので、少し挙げておこう。
- それはたとえば、見合い結婚という風習の風化である。
- 私事になるが、私は鵜原憲一ほどの年齢で独身である。しかし、ながらく女性の気配を感じさせていないにもかかわらず、両親や親類から見合いという声がかかったことはない。これは私が東京出身であるからなのかもしれないが、現在では見合い結婚という風習が廃れているという例の一つであろう。
- たぶん地方ではまだ根強くのこっている場所もあり、禎子のように相手のことをほとんど知らないまま結婚したという人もいるのかもしれない。しかし、『ゼロの焦点』が物語としては今日的なリアリズムには欠けてしまっているのは事実だ。ここまで何も知らないまま結婚するということは、一般的な感覚からすれば信じられない。
- また、禎子という人間の結婚に対する態度はすこぶる真摯なものであるが、素性もわからない男と結婚し、いきなり失踪されて、なお妻としての役目を果たそうと務めるというのも、現在の感覚からすればやや優等生過ぎるように感じてしまう。ひょっとすると女性の読者などには、これをよくあるような男性の理想としての模範的な女性像だと考える人もいるだろう。
- しかし、あえてはっきりと書くが、こうした考えに容易に飛びついてはいけない。なぜなら清張の作品はすでに古典に属し、そこで書かれている人物は過去という社会を映した存在であるからだ。私はこの禎子の造型が、その時代のごく平均的な女性像を描こうという意図のもとに刻まれたものであるように思う。
- つまり、家族や地域社会というものが強い力を持って個人に影響を与えていた時代の中にあっては、一度した結婚は生涯背負っていくのがあたりまえだったのだ。
- とくに見合いというしきたりに沿ってこれを決めた禎子にとっては、離婚は醜聞として避けなければいけなかっただけでなく、仲人の顔をつぶしてはいけないという意味もあったに違いない。
- こうした女性を縛る鎖は、同時期の短編『張込み』にもあるものだ。そこでのヒロイン「さだ子」は、横暴な夫との日常に縛り付けられ、しかし不平不満も言わず、心の中に燃え盛る情熱を押し隠して暮らしている。彼女の悲しさと、本作の「禎子」の悲しさは、ある意味で同一だ。
- そしてその悲しさは、昭和三十年代という時代の中にある。
- そういえば本作のヒロインの「禎子」は「ていこ」と読むのだが、「さだこ」とも読める。これは偶然だろうか。

- 『ゼロの焦点』は物語としても、ミステリとしても、展開がすすむ中で徐々に深くなっていく物語といったところだろうか。
- 失踪後、金沢で捜査が始まり、鵜原憲一は金沢で二重生活を営んでいたということが判ってくる。それが彼のもっていた秘密だったのである。それ自体は読者や禎子にとってもそれほど意外なものでもなく、憲一本人にとっても大きな悲劇をもたらすものでもないように思う。しかし、彼は不可解な自殺をとげ、その足取りを追っていた兄の宗一郎も殺害され、後輩の本多良夫も同じ手口で命を奪われる。いったい犯人は誰なのか、何故それをしなければいけなかったのか。そして、そもそも憲一は本当に自殺だったのだろうかという根本的な疑惑が立ち上がってくる。ここまできてはじめて、一連の騒ぎが大きな規模をもつ「事件」だったということが判明する。単純にミステリとしてみた場合、やや迂遠な段取りであるかもしれない。
- それらの連続殺人は、憲一が単に二重生活を送っていたことだけでは説明がつかない。つまり、謎の焦点は途中から彼を離れ、姿の見えない犯人に移っていく。しかしここで著者は、ミステリとしてだけ収束させるような事はせず、テーマに合致した、犯人の悲劇を描き出していく。
- 犯人の佐和子は、現在でこそ名流婦人として名をはせる存在だが、かつてあの立川で米兵に身を売って暮らしていたのである。彼女はその過去を誰にも話さず、夫にも知られないように気をつけていた。しかし偶然この地に赴任してきた憲一は、かつて立川の警察署で風紀係の警官を務めていた人間で、佐和子の顔を覚えていた。だから彼は殺されてしまったのである。これもまた憲一の秘密と同様に「人間の謎」というものであろう。
- このとき、憲一にゆすりなどの意図があったという描写はなく、またそういう人物でもないということが意味深いと思う。つまりそういうことがなかったとしたら、佐和子の反応はかなり異常なものになる。彼女は何故そこまで歪んでしまったのか。何故それをしなければいけなかったのか。こう考えたとき、時代の波に流されて自らを傷つけてしまった者の悲しさが、そこまで大きかったのだという事実が浮かび上がってくる。つまり、彼女こそがこの物語の中の、最大の犠牲者なのだろう。
- 『点と線』でも感じたが、清張は問題の帰着させかたが絶妙である。凡庸な作家であったら、彼女が殺人を犯さざるを得ないような理由付けをしてその悲劇を描こうとしながら、問題を矮小化し個人に帰着させてしまっただろう。しかしここにはそうした要らないディテイルはなく、表面的な悲劇もなく、割り切れないままの想いは、社会であるとか、時代であるとかいう大きな壁に向かっていくことになる。清張が社会派推理と呼ばれた意味がよく解る結末であった。
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